権利

自転車で走っていると、少し気に障る出来事があった。今日はその出来事と自分の仕事について連動させて話をしてみる。
まず登場人物は私、通行人の主婦、右折して店に入ろうとしている車の3つ。私は自転車で走っている、向こうから主婦が歩いてくる、車はその中間に位置する店に右折しようと対向車が途切れるのを待ち停止しているという状況を想像してほしい。
私が自転車で走っていると、向かいから歩いてきた通行人が右折しようとしている車の為に立ち止まった。そこは車が店の駐車場に入るために縁石が無いだけの普通の歩道だった。おそらく通行人は右折できないでいる車に気を使ったのと思うが、私は止らずに車道の端を普通に走って通り過ぎようとした。その瞬間、車は対向車の途切れるタイミングを見計らい右折してきた。当然車は私の為に再度対向車線内で一時停止、私が通り過ぎるのを待ってから駐車場へと入っていったのだった。これがその時の状況だ。
これだけなら何もおかしくない普通の出来事だと思う。だが、その直後に私は通行人に、しかめっ面で睨まれたのだ。思い過ごしでは?と言われそうだが、明らかにがっちり睨んでいた。なぜ睨まれたのかはすぐわかった。
【歩いている私が車の為に気を使って歩道で止ってあげたのに、自転車のあんたはそれを無にするように何気なく通り過ぎやがって!しかも車はあんたの為にまた一時停止を余儀なくされたじゃないのよ!】
これが主婦の言い分だと思われる。冷静に考えてどうだろう、私は睨まれなくてはならなかったのか。確かにモラルとか思いやりという言葉は尊重するべきであり、何もない歩道で車の運転手の事を思いやり歩行者が立ち止まって待つという事は立派だ。しかし、それの押し売りともとれる行為はどうかと思う。私は一番立場の弱い歩行者を守るべく車道の端を走り、車は次に弱い自転車を守るべく一時停止をした、いずれも強い立場が遜り損をする事で成り立つこの社会では普通のモラルとしてやるべき事はやっていると思うのだが。睨まれる筋合いなど無いと思う、あったとすれば、それは今回にしてみれば歩行者の【私はやっていますよ】というアピールの為のエゴでしかない。
私が言いたいのは、モラル、思いやりも大事だが、権利の主張と理解も大事だという事だ。間違っても正当な権利を行使している人を侮辱するような事はしてはいけないと思うのだ。40代くらいの主婦だったが、よくテレビでやっている【人間とはこうあるべきだ】的な上辺だけの情報に洗脳され、世の中の本質というものを知らないとしか思えなかった。
さて、私の気持ちも収まった所で・・・この件で私の仕事というか人間性に関して思うところがあったのでそれも書いてみる。それは"権利"という事についてだ。
どちらかというと、というか極端に人見知りで内向的だと自分でも思う私の人柄は、今まで"権利"というものを主張することなく遜ってばかりの人生だと思った。今でこそいろいろ勉強し損をしない程度の主張はできるようになったのだが、"権利を主張しない"のと"優しい、思いやりがある"とは違う。分かりやすい例として挙げると、自分が交通事故にあったとき、100%悪い加害者の保険料を気遣って全て無かった事にするという話は無いという事だ。知識がありさえすれば最大限の権利を主張し相応な代償を受ける事ができるが、逆は損をするばかり。相手に丸め込まれるのは目に見えている。
私は今まで勉強や努力をしないという自由の代わりに損をしていたのではないかと感じたのだった。それをモラルとか優しさに都合よく変換し自分を丸め込んでいたのではないか、こんな事を考えた。人は努力、勉強し人間らしく権利を最大限に主張するべきであり、生半可な知識や感情で主張するべきではないと思う。それがモラルであり周りへの優しさになるんだ。
借金返済をがんばる!と意気込んでいる私だが、権利を主張できないばかりに損をするのは馬鹿らしいし、知識が無いのに粋がるのも自分だけならいいが他の人にも迷惑がかかるかもしれないので、こういう点にも気をつけて変わって行きたいと思ったのだった。

只今の借金5936000円 総返済額64000円