金と生き様

今日は休日。部屋の掃除から始めた一日は、良い天気だった事もあり清々しい良い休みとなった。途中、車でコンビニに行く際にパチンコ店を通り過ぎたのだが、昔であればあの喧騒な独特の雰囲気に惹かれ、行く気も無いのについつい立ち寄ってしまう自分がいたのだが、ギャンブルから離れた今の私はもうそんな気はさらさら無く、ギャンブルに熱心だった自分を『懐かしい』の一言で片付けられるのだから偉いと思う。人間、変わろうと思えば変われるものなんだなぁ。と、そんな風に自分を褒める反面、一方ではギャンブルにはまってしまい借金を築いた自分を信用しきるのはまだ早いとも思う所があるので、これからもまだまだ自分自身に気を許すことなく精進したいと思う。

さて、今日は昼のテレビを見ていて考えた事があるのでそれについて書いてみようと思う。テーマは『人間と金と生き方』についてだ。
部屋の掃除もひと段落し何気なくテレビをみていると、ある一人の中年の男性が家を建てるという番組が放送されていた。東京で周りをアパートに囲まれた7坪の土地に、4LDKホームシアターを楽しめるようなお洒落な家を建てたいという願いを番組が叶えるものだった。中年男性の夢、建築設計士の技、大工棟梁の腕など様々な観点から各々のこだわりをドキュメンタリーとして構成されたその番組につい見入ってしまった。結果、約3000万円の建築費用とシステムキッチンやシステムバスそれぞれ100万円ほどを投資したその中年男性は夢を実現した事にとても満足そうだった。そして建築設計士や棟梁も仕事を成し遂げ満面の笑みを浮かべていた。
見終わって私が考えたのが『人間は何に生きがいを感じ、何を目標に生きるべきか』だ。"生きる喜び"とは結局は金なのか、またそれ以外の何かなのか。
おそらく、全ての人は『何一つ不自由なく、快適で、ゆとりがある生活』を目指していて、その上で『夢』もあり、国によって違うと思うが日本国民においてそれを実現させる為にはやはり"金"だ。だが、"生きる=金"ではあるが、"人生=金"とは私は言いたくない。何をかっこつけてるんだと言われそうだが、かっこつけてでもそうありたいと考える。
私は"人生=金"という見方をしていてギャンブルにはまり借金が残った。金があれば何でもできる、金があれば不自由しない、金があれば周りからちやほやされる、金があれば・・・と何もかもを"金"中心に考え、金=ステータスだと思っていた結果だ。
だが、絶対的に中心視していた"金"から見放された今、自分がこれから真っ当に生きる為には何が必要かを勉強しているうちに考え方は変わった。人の信用とは金で失う事はあっても金で買えることは無く、生きる喜びは金を払う事でも得る事ができるが金を大切にする事で得る事だってある。そして一番大事なのは、人格者と言える人は歴史を考えてみてもわかるように全てが金持ちではなく、むしろ生き様でステータスを確立しているという事だ。
『世の中は金』、その通りかもしれない。しかしもっと大切な事は生き様という生きる過程にあるのだ。大切な事は人それぞれ違うと思うが、今日このようなテーマで考えた結果、社会人として自分はこうありたいという私の出した答えはこうだ。

目指す生き様:
人として"やるべき事"に責任を持って取り組む姿勢を大切にする事と、周りから人間性で信用される事

ギャンブルで借金を背負ったふがいない私にとって、かっこつけてでもこのような目標を持ち努力する生き方が必要なのだ。そしてこれができてこそ『何一つ不自由なく、快適で、ゆとりのある生活』は保障されるものと考える。
今日のテレビのように、自分の理想の家を持つことや仕事をこなし充実感を得る事は素晴らしいと思う。家を持つ為には金が必要であり、仕事をするのは金の為であって、やはり理想の人生を考える上で切っても切れないのが金というもの。だが、大切なのは生きる為に金は必要だが、金の為に生きるのではないという事なんだ。