普通が一番

今日の晩御飯はおでん、シメサバ、ニラ卵炒めだった。晩御飯と言っても晩酌のつまみとして食べるものを妻に作るようお願いしている。外が寒い中、自転車で激走してきたので温かいおでんがとてもおいしく感じたのだった。シメサバも自分で卸して〆たもの、酢で〆すぎた固いシメサバが嫌いなのでほぼ生に仕上げてある私好みの一品と格別であった。ニラ卵炒めは少し味が濃かったが、酒のつまみなら十分。久しぶりにお腹一杯に食べて苦しい思いをした。
今日は、借金返済生活を始めてから感じた"生きる幸せ"について書いてみようと思う。
幸せの定義・・・それは無意識にホッとできる瞬間ではないかと私は考える。ポイントは"無意識"というところ。
意識して自分の欲求を満たす事は、おそらく誰にでもできる。私のように借金の為に節約しているとしても、返済の予定であるお金を使ってしまえば物欲は満たされるものであり、人として"やるべき事"から逃げたければ何もしないでもただ生きる上では致命的なダメージも無く自分の時間が増え、もっと極端に言えば完璧に身を隠してしまえれば借金を踏み倒してゼロからの生活を目論む事だって可能だ。
人によって感性は違うと思うが、私はこのような事で借金、大きく見れば人生という事から逃避しても幸せとは感じない。後に残る不安、これが無いのも幸せの定義だと言えるのではないか。意識して一時的な幸せを人工的に作り上げるのは簡単だ、しかし、ふと思う趣から感じる幸せというのは意識できない。そういう意味で"無意識"というのはポイントとなる。
私の場合、自転車通勤・体作り・ブログ・仕事・世の中の勉強などから幸せを感じることが多い。自転車通勤では自然や街並みを観察して感じる風情、体作りではおじさん体型からの脱出、ブログでは継続している事や生き様を残しているという事実、仕事では一生懸命な取り組みをする事での努力という満足感、世の中の勉強では時代の流れに徐々に追いついているという実感・・・全てが私のふとした時に思う幸せの形である。
私の幸せの形、それは良く考えると"普通"だ。高級車や大きな家や平均以上の年収に幸せを感じている訳ではない。ギャンブルに狂っていた過去には無かったもの、それが今、幸せと感じるものである。今現在無い"人間として尊重しなければならない感性"こそが幸せと感じさせてくれるのだと私は思う。"普通"が幸せに感じる今を思うと、過去の私はどれだけ堕落した生活をしていたのかと思ってしまう。
冒頭に書いた晩御飯の話、これも私の今感じる幸せだ。消費者金融から得た架空の財産で食べる外食なんて目じゃない。給料日前に苦しくなって慎ましい生活を送る、このような事でさえ私は"普通"を感じて幸せに思う事がある(妻はどう思っているかは知らないが・・・)。


よく『普通が一番』という言葉を耳にするが、今まではこの言葉を馬鹿にしてきた私がいた。それでギャンブルにはまり一攫千金を目論んだわけだが、結果的に世の中そう甘くは無い事を知る事となった。健康・仕事・家族、このような"普通"に恵まれている事、これだけで私は今とても幸せである。

只今の借金5906000円 総返済額94000円 
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