倫理性

今、世の中は【倫理性】が最重要視される時代と言える。雪印不二家などの企業、政治家の汚職など、ルールを守れない人はことごとく告発という手段によって失墜してく時代だ。そして、ルールを守らない、守れなかったという事実を隠蔽しようと企んだことが、【倫理性】を重く見る時代なだけにさらなる非難を呼び、哀れな結末に転じることとなる。
"不利な事実の隠蔽"、これは人間ならば誰もが真っ先に思いついてしまう考えだと思う。例外なく誰にも共通することだ。しかし、上のように隠し通そうとする考えを持つ人と、正直に告知する人と別れるのは何故だろうか。
それは長い目で損得を見つめる事にあると思う。損得勘定とは聞こえは良くないが、反省の度合いよりもこの要素が一番気になることであり、人間らしい考えだ。
隠し通そうと企む人は目先だけの自分の利益に目が眩む人。不利の大小に関係なく隠し通す事ができれば自分のかぶる損は小さくなる、売り上げや収入・信用において今の状態を維持できる、このような利益とは言えない利益に目が眩んでしまうのだ。ゼロからマイナスになるのを防ぐ為の手段であり、もしかするとゼロのまま維持できるのかもしれないが、長い目で見るとプラスには決してならない。そして、【倫理性】の問われる時代にはリスクはかなり大きいものだと言える。
正直に告知できる人は長い目で損得を計算できる人。不利な情報が流れるという事は必ず損をしてしまうという事であり、もしかすれば生活が苦しくなるかもしれないし、誰にも信用してもらえなくなる可能性だってある。しかし、それを考えても【倫理性】を重要視する時代だからこそ得るものは大きいと私は考えたい。ゼロからマイナスは確定してしまうが、そのマイナス分からさらにマイナスになる事は無く、結果的に最小限に抑えられる事になる。場合によってはプラスに転じる事だって考えられる。そして、何より大きいのは隠す癖がつかない事だ。
隠すという事は失敗を印象付けない。"失敗から学ぶ"という成長する為に欠かせないものを失うことになるのだ。しかも、厄介なことに"隠す"という『楽』はどうしても癖になってしまう。そうなると人間的にもスキルに関しても成長は見込めなくなり、時代に取り残されてしまうという結末を迎えることとなる。"ニート"の急増が問題視される今だが、これは"自分"を隠してしまい時代に取り残されてしまった分かりやすい例だと言えるのではないか。少し前から『カミングアウト』という言葉がよく使われるようになってきたが、これも今の時代という背景があるからこその事ではなかろうか。
さて、人事のように諭しているが、私も今の時代に生きる一人の人間だ。当ブログは借金とその返済作業に関する告知のつもりなのだが、告知と言っても誰に向けてでもない自分自身への非常警報のようなものだ。私のような不摂生で借金を重ねたことのある人なら分かると思うが、"隠す"という事は非常に大きな損害をかぶる事となり、その被害は徐々に大きくなるものである。
今の私はカミングアウトしたからこそ存在するものだ。社会は私の告知に関して【倫理性】をどうこう批判しないとは思うが、私という自分自身の中では客観的にあれこれ意見が飛び交っている。私個人の【倫理性】だ。
ルールとは守る為にある、でも人間だからついルールを破ってしまう事だってある。そのような時は、その事の大小に関わらず【告知→誠意ある対応】を心掛けることで損は最小限に抑えられ、結果的に利を得るという仕組みを忘れてはならない。

只今の借金5906000円 総返済額94000円 
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