二極化

私の住んでいる地域の中心街には多数の居酒屋や料理店が軒を並べている。週末となれば人が溢れ出し、それぞれが自分の好みや気分で店を選び、楽しい一時を過ごしている。私は約10年間そんな光景を仕事帰りに目にしながら毎日帰宅しているのだが、人が流れていく店や閑古鳥の鳴き声が聞こえてくる店の傾向は、ここ何年か時代の流れと共にだいぶ変わってきている。
10年前には流行っていた素人が趣味でやっていたような居酒屋は潰れ、5年前には客が並んで待つほど人気のあったゴージャスな空間が売りの高級居酒屋はイマイチな客入り、最近まで飛ぶ鳥落とす勢いだった激安チェーン系居酒屋は、ライバルチェーン店の相次ぐ進出に今では毎日ビラ配りや半額セールなどの客寄せに街を徘徊しているという変わり様だ。今強いのは高級料理店、和洋中寿司などの専門店など他には無いこだわりや独自の商品を持つ店のようだ。
前にこのブログでも書いたが、時代は『消費2,0』による"各消費者の自ら作り出す嗜好の変化によって大きな流行が生まれにくくなった事"が消費者の考えを物事の本質を求める方向へと推移させ、今の外食産業も例に漏れず"高級志向"や"本物志向"という考え方へとシフトしている表れなのかなと思う。
だからと言って激安チェーン店が全く入っていないという訳では無く、以前のように価格さえ安ければ黙っていても客が入ってくるような強さは無いが、ビラ配りなどでの客の取り合いは激安店同士で行なわれているだけで、全体的に見ると"低価格志向"という路線も世間に受け入れられていると見える。
この事からわかるのは曖昧な設定は今の時代に受け入れられないという事だ。
"高級居酒屋"という設定は中途半端と感じるものであり、安いイメージのある居酒屋に高級感という付加価値をつけた数年前の目新しさは、今では消費者の求める本質からはずれているのかもしれない。店の個性にしても流行の型というのは漠然としたものがあるのかもしれないが、昔流行ったウォークマンやたまごっちのように、メディアで取り上げる流行に大勢の消費者が乗っかってくるような簡単さは今の時代に無いと言える。価格に関しても今の消費者は、高級志向で本物を求める人と低価格を求める人と極端に分かれるのではないだろうか。ちょっと豪華に、ちょっと見栄を張って、ちょっと…、このような中間の感覚は昔に比べて少なくなったと言える。一杯1500円の"贅沢なコーヒー"を有名ホテルで飲む人や一杯100円の"安いコーヒー"を喫茶店で飲む人がいても、一杯500円という"ちょっと贅沢なコーヒー"を注文する人は今の時代にはいないものだと考える。
このように時代は"二極化"の時代と変わってきている。収入、教育などの格差もそうであり、人の考え方も必要とされるのは「○か×か」のはっきりとした意見だ。曖昧は時代から必要とされなくなり、中途半端な行動や考えはマイナスへと転じ"二極化"の悪い方へ、はっきりとした行動や考えは最終的にプラスへと転じ"二極化"の良い方へと流れる時代だ。無難に…、ある程度…、取り合えず…、こんな言葉を使う事ももう危ないのかもしれない。


曖昧・中途半端…何かドキッとしてしまう言葉だ。私は大丈夫だろうか、時代に受け入れられているだろうか。これからもはっきりとした意見と自己像を持ち続け、時代に取り残されないように頑張っていこうと気を引き締めるのだった。

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