おでん

今日は仕事から帰路に着いたのが23:00過ぎ、いつもより少し遅めの帰り道は車通りも少なく、冬を感じさせるような肌寒さだった。しかし、昨日の買い物で今日の晩飯が何かを知っていた私はその寒さによって体が芯まで冷える事を望み、暗い夜道を自転車でゆっくりと走っていた。今日の晩飯は寒い日の定番である"おでん"。買い物で私の選んだ具はちくわ、さつま揚げ、ごぼう天、いわしつみれ。これに妻の切る不細工な大根が入る。不細工は余計だったが、練り物から出るうま味がこの大根を次の日に主役へ押し上げるという二日間にわたっての楽しみも、"おでん"に対する私の楽しみ方の一つ。加えて、頼み込んでやっと買ってもらった焼酎が一番の楽しみだったりする。
そんな寒いながらも楽しい想像をしながらの帰り道、パチンコ屋の駐車場を横切る際に不快なものが目に入った。大量のゴミと吸殻が至る所に捨ててあったのだ。どうすればこんな量を車に溜めておけるのかというくらいのものであり、それが何箇所にも・・・。胸糞悪くなり全速力でその場を通り過ぎた。
私はつい最近図書館で借りた本でこんな記事を読んだ事を思い出した。それは【自分の為と世の為は一致する】という記事。それは仕事に関するものだったが、"世の為を考える事で、自分のするべき事がみつかる"、"自分の為を考えていたのでは世の為になんか一つもならない"という理論であった。その時は何気なく読み過ごしたのだが、このパチンコ屋の駐車場の件で私はこの記事の言いたい事を理解した気がした。
私は昔、タバコのポイ捨て、空き缶のポイ捨て、ゴミのポイ捨ての常習犯だった。自分の得にならない事には無頓着であり、社会のマナーやルールというものに無関心だった。このような人格が今の借金人生に結びついた全てだとは言わないが、もしも社会人として立派な暮らしを送れる大人だったら今抱えている借金はもしかしたら無かったかもしれない。今は気が付けば落ちているゴミは拾うように心がけ、もちろん自分の出したゴミはゴミ箱へ捨てている。さすがに今日見た大量のゴミは拾う気になれなかったが。当たり前の事かもしれないが、この当たり前の事が世の為となっているケースは多い。
コンビニの袋で感じる事もある。よく見ると、小さくではあるが『袋が不要な方はお申し出下さい。あなたの心が資源の節約につながります』と書いてあったのを見たことがある。企業としても、"世の為が自分の為になる"という事の大切さを考えての戦略だと思う。巷に溢れているエコやマナーの広告、確かに公共性の意識よりも自社のアピールと捉えて間違いないとは思うが、大きく見る社会的な利害関係の一致を考えるとこれは理論として成立する。
【自分の為と世の為は一致する】・・・一見根拠の無いかっこいいだけの言葉に捉えてしまいがちのフレーズではあるが、"世の為に何かを出来ない人は、何が自分の為になることかさえわからない人だ"という捉え方をする事によって、この言葉の意味をわかる事ができる。いろんな人の"世の為"のおかげで世の中が成り立ち、その世の中が"自分の為"を助けてくれる。そんな事を考えた。
おでん、これも同じだ。いろんな具がおでん全体の味を作り上げ、その味が自身の持ち味を高めてくれる。そして焼酎も"寒い日のおでん"があっての楽しみとなり、どれも自分勝手な主張をしないからこそみんなの利益となり、結果、"おいしい"という自分の評価を上げる事となるのだ。おでんの人気ダネというのはだいたい自分を主張しない食材が多いのでもわかると思う。


少々強引なこじつけだったか。でも、これは『自分の為を優先し世の為を考えなかった過去』と、『世の為を意識しているうちに自分の為となっているなと実感している今』の両方を経験している私が感じている事。ゴミを平気で捨てるような人達を今の立場から見ると、過去の自分がどれだけ愚かだったかという事がわかるものだ。
これからも"世の為"を意識しながらの"自分の為"に精を出していこう!
おでんは格別だった。

只今の借金5906000円 総返済額94000円 
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