性悪説と生きる

【人は基本的に"善"である】という考えがある。これは中国の戦国時代に孟子が説いた考えであり、国を治める人に向けて発したものだという説がある。要は戦争をやめさせる事で平和な世界にしようとしたのだと思う。始めは【人は"善"であるべき】という形で諸国の君主にこの教えを説こうと思ったが、それは一部の聖人しかできないのではないかという覇道思想(武力や権謀で支配する考え)側からの反論も多く、【人は"善"である】とした王道思想(仁義を持って支配する考え)の必要性に準じた考えに変わったと言われている。
【人は基本的に"悪"である】という考えもある。これは中国の荀子孟子の教えに対する批判として新しく説いた考えであり、"悪"とは現代の犯罪などから想像するものとは違い、欲求そのものを指している。人が持つ"情"というものを排除してしまえば、欲求という"悪"から争いや社会の混乱が生じてしまう事から、"欲求"="悪"なのだ。【人は生まれながら"悪"である】と言っているのだが、だからといって当時の中国の戦争を支持すると言うのではなく、"悪"なのだから"情"というものを忘れてはならない、"礼"を持たなければならないと人々を矯正する為に説いた考えである。
この二つは【性善説】と【性悪説】と言われるもの。言葉だけ見れば矛盾しているように感じるが、説こうとしている趣旨は同じだ。【性善説】とは人が持つ"良心"に問いかけるもの、【性悪説】とは人の持つ"欲望"に問いかけたものだ。"理想"と"現実"という見方をすればわかりやすいかもしれない。
時代をこのような考えのもとに見てみると、昔は【性善説】が必要とされ、現在は【性悪説】の必要な時代に移行していると言えると思う。暮らしやすい世の中を目指すという目的は一緒ながら、根底に据えるものが違ってきている。
多くの人が"集団の中の一人"という意識で暮らしていたのが昔。原始時代から昭和前半まで、大きく見ればこの区切りが昔だとする。今よりも宗教というものが大衆的であり、神様・仏様・殿様・・・民衆はいろいろと心の拠り所を持ち、戦争をするにも"お国の為に"と一致団結して戦った時代だ。村八分という言葉があるように、集団から外れるという事が生きるうえで致命的だったと考えられるその時代は、"集団の中の一人"という意識で心の拠り所である"理想"を崇拝していた事が、"善であるべき"という考えを自然にもたらしていたと考える。言い換えれば、"人間としての理想"が人を規制していた時代という事だ。これが、私が昔を【性善説】の必要とする時代だと考える理由である。
現在は逆に集団という意識よりも一人という意識を持って生きる人が多いのではないかと思う。良く言えばそれは自立であったり個性であったりするが、悪く言えば自己中心的であり、自分崇拝だ。人のあるべき姿はこういうものだという理想は蚊帳の外に追い出され、自分のあるべき姿や現状といったものを心の拠り所にしている人が多いのではないだろうか。
一つ例を挙げれば、今、エコとか環境問題いう言葉が地球温暖化や資源枯渇によって提唱されている。これが"人は善である"という考えのもとに集団で行動できる人が多いならば、それは【性善説】の必要な時代だ。だが、今の自己の利の追求から発生する問題の多い社会状況を考えると、【性悪説】の必要性を感じえざるを得ない。政治家を始めとする公務員の不祥事多発による倫理法・倫理規定の設定、企業の内部で黙々と行なわれている不正や不祥事の多発による内部統制システムの義務付け、悪質な交通犯罪の多発による規制強化、エコという題材で考えるとゴミに関する規制なんかもそうだが、人が悪である事を前提にした世の改善が実際に必要となっている。これが、私が今を【性悪説】の必要する時代だと考える理由である。
今の世の中、全てがそうだとは言わないが、問いかける良心さえ失っている人が多いのかもしれない。と、なるとそのような人は"悪(欲求)"の塊だと言える。
ここからは私の話となるが、以前の借金を積み重ねていた頃の私はまさにその"悪(欲求)"の塊だった。その頃の私に必要なものは【性悪説】、人はもともと悪を持つのだから自分に規制をかけて生きなければならないという考えだ。理想はお金絡みのもので真の理想とは言えず、自分に対する規制を破り続ける毎日だった。集団も苦手で悪い意味での一人の時間が私の生活を形成していた。自己破産・民事再生といった、人の"悪(欲求)"を前提とした規則によって矯正されなければならない状況であった。
今は神様仏様ではないが、貸主様のおかげで【性悪説】だけが必要な自分から【性善説】も必要とする方向への移行が行なわれていると思っている。"悪(欲求)"の部分を必ず持っている人間として"礼"を持たなければならないという考えと、勉強する事でお金とは次元の違う別の部分に理想を持つ生き方と両方持ち合わせている。
性善説】と【性悪説】、これらは人間の本然に対する考え(悪を外に見るか中に見るか)に違いはあるが、世の中を良くしようという目的で説いたという事は同じ。要は理想という"善"を見るか現実という"悪"を見るかという事だと思う。
今現在、私は大きく育ちすぎた"悪"と戦っている状態、自分制御能力を高める過程にある。自分制御を謳うこのブログは【性悪説】に基づくものだと言える。今は厳しい現実をしっかり見つめ自分の中にある悪を制御し、それでいて理想は高く、最終的には【性善説】に基づく生き方が自分の本然となるように頑張りたい。

只今の借金5892000円 総返済額108000円 
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