生涯勉強

昨日のブログで最後にふれた『できない事探しの必要性』、今日はその事について書いてみようと思う。
人には『できる事』と『できない事』がある。『できる事』とは無意識のうちに習慣化されている場合が多く、「習慣は第二の天性」と言われるように、その人が持つ後天的な才能と言える。己の才能を疎ましく思う人はいないだろうし、『できる事』から発生する"喜び"や"楽しさ"は人を虜にするという事を考えれば、それが習慣化されていくプロセスは簡単なものなのだと思う。小さな子供の物覚えが早いというのは"体の科学"的な根拠もあるとは思うが、『できる事』から感じる喜びや楽しさの大きさに反復を求める"心の科学"的な事も大きいのではないかと思う。
『できない事』、これは『できる事』が習慣化されるものであるのとは逆にすぐ忘れ去られがちだ。『できる事』が生むのが"喜び"や"楽しさ"なら、『できない事』が生むのは人にとって都合の悪い感情だけ、「ダメだ…」「次がんばろう」の言葉と一緒に己の記憶から投げ出されるのがパターン。記憶から投げ出されると言っても完全に消える訳ではない。また同じ"できる・できない"の結果が出る行動をする事になれば記憶の底からできなかった時の記憶が呼び出されるはずだ。そんな時、えてして人は嫌な記憶から逃げる事を考えてしまう臆病な動物・・・次にその『できない事』と真っ向から向き合う機会はほぼ無いと言えるのではないか。
『できない事』には2パターンあると私は思っている。

  1. できないままでも問題ないもの
  2. 『できる事』に変える意識を持つ必要性があるもの

1は自分の考える充実した人生を送る上で必要性が全く無いものの事だ。100m走専門の陸上選手がマラソンで完走できなくても支障は無いし、小説家が漫画を上手く書く事ができなくても何の問題も無い。
2は"充実した"人生を送る上で必要なもの。それは社会的に立派でいる事や、自分の夢に貢献するものだ。
大切なのはもちろん後者だ。『できる事』に変えるプロセスも難しいと思うが、先に言った通り、なにより意識無しに同じ『できない事』に出会うのが難しい。人と人の場合も同じだが、出会う事が難しければ自ら出向いて探す事が解決の糸口となる。
意識して探すという事は"前向きさ"の現れであり、探し物が見つかった時には何かしらの強い思いを持つ事になる。探し物が『できない事』であれば、その強い思いとは【克服】への"希望"と"決意"であるに違いない。そこに今日のテーマである【できない事探し】の必要性があるのだ。

私は過去、『できない事』を見て見ぬ振りして生きてきた。"自分はすごい"というナルシスト的な根拠の無い自信をどこから見つけてきたかは思い出せないが、おそらく第二の天性として習慣化された『できる事』に見ていたのかもしれない。「自分は何でもできる」などという不遜な思い上がりを、数少ない『できる事』で築いていたのだ。


『生涯勉強』と言うが、問題無くして答えは見つからないもの。『できない事』いう問題をいかに謙虚になって、いかに多く見つけられるかが充実した人生の鍵なのだと思う。

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