宮沢賢治に学ぶ

今日は朝起きると雪が降っていた。雪と言うよりは霙(みぞれ)に近いもので、しかも突風吹き荒れる"吹雪"と言われる状況だった。そんな気候の中、今日も私は自転車ツーキニストとしての意地を貫き通した。あっという間に衣服は冷たくなり、風と霙のせいで極端に視界も悪く、すれ違ったおばさんには「じ、自転車きた・・」と言われる始末。ドラマでよくある"雪山遭難現場で果敢に前へ進む主人公"ばりに会社を目指したのだった。
そんな状況の中、私は宮沢賢治の『雨にも負けず』がふと頭に思い浮かんだ。「雨にも負けず、風にも負けず、・・・」私の凡暗頭ではここまでしか思い出せなかったが、思った以上に激しい吹雪に負けそうだった私は、「吹雪に負けず、猛吹雪に自転車で走る人を珍しそうに見る目にも負けず」と自分を励ましながら自転車を走らせていた。
宮沢賢治は岩手出身の偉人だ。童話作家・詩人・教育者・農業指導者・・・他にも多彩な内面を持つ才能の持ち主だったようだ。今日は、自転車通勤時に私の心を支えてくれた宮沢賢治の『雨にも負けず』に私の人生のあり方を学んでみた。

まず、私は気になっていた続きの文を調べた。

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち
欲はなく 決して瞋(いか)らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見 聞きし 分かり そして忘れず
野原の松の 林の蔭の 小さな茅葺きの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから止めろと言い
日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい

確か小学校の時に学んだこの詩・・・当時は何も感じる事無く、挿絵と宮沢賢治の写真に落書きをしていた記憶だけがだんだんとよみがえってきた。今、あらためて全文を読んでいると、宮沢賢治がなぜ才能を認められたのか・その中でなぜこの作品が有名になったのかが明らかになるようだった。
この詩が読者に響く要素、それは"飾らない人間らしさ"にあるのではないかと思う。質素・謙虚・共存・情・無我という理想の人間像を、具体的に身近な"飾らない"生活環境の中から説いている。人間は自分に無いものを欲しがるもの・・・欲は誰にでも例外なく存在するものであり、その欲のせいでどうしても飾ってしまいがちな"自分"を持つ人間だから、"飾らないという無欲"に響くのかもしれない。
今起きている社会問題の全てが、この『雨にも負けず』で解決できるとさえ思ってしまうのは私だけだろうか。皆が謙虚に自分を主張せず、共存する事を意識し周りに情を持ち、自分を飾らず最低水準の生活で暮らす世の中・・・宮沢賢治が伝えたかったのはこういう事だったのではないだろうか。

先人の残す作品や言葉というのは得てして人間の本質を描写していると思う。本質とはいつの時代でも不変のものであるから時を跨いでいつまでも受継がれていくのだろう。

猛吹雪の中を自転車で走るという無謀な行動から宮沢賢治に学ぶ機会を得たのだが、しばらくぶりに読む『雨にも負けず』はいろいろな事を私に教えてくれた。この詩の意味を理解でき共感できた自分に嬉しさを感じ、過去の自分の愚かさを再認識する事にもなった。
時代は賢治の理想とは逆方向へと向いてしまっているが、そんな世間に流されず、自分制御によって飾らない自分を貫き通す・・・
そういうものに 私はなりたい。

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