借金ノススメ


昨日の記事でも書いたのだが、私は"加害者"という普通の人には経験できない非日常的な生活を送っている。朝起きて仕事、仕事から帰ってきても借金返済作業という借金によって迷惑をかけた"被害者"への償いだ。4ヶ月前、多額の借金によってギャンブル漬けだった私の蝕まれた日常は、社会的な責任を果たし何事にも前向きに精を出すという非日常へと変化した。今なおその非日常の中にに"気付いてなかった自分の愚かさ"や、"普通の人が送る普通の生活のすばらしさ"を発見することが多々ある。
その新しい発見の多くは、本を読むことや社会の仕組みを勉強する事で得られるのだが、その勉強とは巷で捉えられるような知識を記憶に詰め込むような堅苦しいものではなく、自然と感じるもの【感性】を頼りにした気楽なものだ。そのような勉強で強く印象に残った事や考えさせられた事を私はこうやってブログに書きとめ、そして書きながらも自然と誘発される自分の感性をプラスし、"自分制御ブログ"が綴られている。
このような【感性】を敏感に・アクティブに促す勉強は、明らかに学生時代に義務付けられる勉強とは違う。学生時代にしてきた勉強は"左脳"を鍛えるもの、今の私のように非日常から生まれる刺激から勉強となるものは"右脳"を活性化するものだ。参考までに右脳と左脳の違いを下に挙げてみる。

【左脳】
言語認識・計算・論理的思考・長期的記憶・顕在意識・ストレス
【右脳】
・イメージ記憶 ・直感ひらめき・芸術創造・瞬間記憶・潜在意識・リラックス

左脳は能動的であり意識する事で、右脳は受動的であり無意識の中で働くものだという事がわかる。要は個々の人間の基本的なものは右脳に既存するものであり、そこから経験により積み重ねられた応用が左脳にあるのだ。
右脳を刺激・成長させるということは非日常的な経験が必要だ。日常的な生活はイメージを明確なもの変え、直感は論理的思考のもとに意識するということになってしまい、難しかった計算式も長期的記憶によって簡単なものとなってしまうからだ。
右脳の細胞一つ一つを電球に、その一つ一つに異なる電源を刺激に例えるなら、私達の右脳には生涯点くことのない電球の方がはるかに多い。より多くの電源を入れることによって明かりの点る電球を増やす事が、自分の基本能力の底上げとなるのだ。このブログを見る事ができるPCや携帯電話だって、機能が多いほどその存在は価値のあるものとなり、そこから応用という性能のレベルアップが始まっていく。そして、「この機能は使わないからいらない」なんて考えは前向きな人間のするものではなく、自意識過剰な後ろ向きな人間のする考え方なのだ。
私が"右脳勉強"に見る尊さは単なる人間としてのスキルアップだけではない。
左脳中心に生きる人は、"意識する"事で『自分が大事・自分が可愛い』という考え方になりがちだという事に対し、右脳中心に生きる人は、"無意識"に刺激を受ける環境を意識することによって人間の共存本能である『世の為・人の為』という考え方になるのだという。この左右の脳の使い方によって得られる考え方が"生きがい"へとつながり、その人の人間性を形成していくのだ。そしてWHO(世界保健機構)の調べによると、右脳派のほうが左脳派よりも成人病やボケになる確率が低いという結果が出ている。これも『世の為・人の為』が自分の為になるという1つの説明となる。

「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云へリ」という福沢諭吉著の本に有名な一文があるが、これは「生まれながらに決められた貴賎上下は無いが、学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ」という意味合いが込められている。学ぶ事とは左脳による意識的なものによるものであるが、その左脳で応用する基本は右脳にある。右脳による基本能力の項目が増えれば応用され蓄えられる知識も自ずと増える・・・ここにも"右脳勉強"の大切さがある。


原因は借金という褒められたものではないが、こうやって非日常な生活を送れている今の私は苦しいながらも充実している。借金のおかげでという言い方はあまり使いたくないのだが、毎日に新しい発見があり、喜びがあり、苦しみがあり・・・右脳の電球は確実に点る数が増えていることだろう。無学の為に貧人・下人と言われて当然の立場に今あるわけだが、これからの非日常から得られる詰め込むだけの学問ではない【感性】による右脳の活性化によって、何年後かには貴人・富人と言われていたいものだ。

只今の借金5868000円 総返済額132000円 
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