幸せへの過程

私には自分の部屋があり、そこでいつもブログを書いたり借金返済作業をしている。今の時期は石油ストーブを自分の隣に置き、その上にヤカンを乗せてカンカンいわせながら何かしらの作業をするのが日課となる。狭い部屋だけに暖まるのは早いが古い型のストーブなので空気がすぐに悪くなり、廊下の冷え切った空気との入れ替えを頻繁にしなければならなく、しかも節約の為に極弱火にしているので厚着はかかせない。
家の中にも関わらず厚着をし、最小限の暖気をとりながら黙々と作業していると高校受験の一年間を思い出す。あの頃は学習机の足元に小さな電気ストーブを置き、どてらを着こんで真面目に勉強していたものだ。あまり勉強が好きではなく、目標の高校に入ったら遊んで過ごそうという勉強からの脱出の為に取り組んでいたのだが、まさか10年後に同じ姿で勉強するはめになるとは思いもしなかった・・・。

勉強するという事は、それがどんな目標であろうと前向きである証拠だと思う。"将来の夢に向かって"・"更なる躍進を求めて"というかっこいい目標も、私のように"借金完済を目指して"・"今までの遅れを取り返すために"という情けない目標でも、全てが前向きの表れとなる。勉強する事を怠けている人を見て前向きだなと思うことは無く、現状に満足して勉強する事をやめた時、それは生きる事に前向きでなくなったと言っても過言ではないはずだ。
何故、勉強は人を前向きにさせるのか。これは動物が身の危険の回避方法をケース・バイ・ケースで習得していくのと似ているのではないかと考える。つまり生き残る為の本能なのだ。
私はギャンブルでの多額の借金に瀕死の状態に陥っている現状だが、今ここで勉強する事をやめ、前向きさを失ったら私は遅かれ早かれ寿命を迎えずに息絶えるだろう。そんな絶体絶命・困難な状況で、私は生きる事を諦めなかった。だから勉強を始めた。つらい・苦しい・楽しくない・面倒・・・こんなイメージの強い勉強だが、今考えると生き残る為の道として本能的に選んだ道なのかなと思う。そして漠然と"生きる"のではなく、その先にある"喜び"があるから"生きる"事への価値を感じるのだと思う。動物は子孫を残して繁栄する事が"喜び"であり、人間も行きつく先はそこなのかもしれないが、現実的には"お金"だったり"自由"だったり・・・それぞれの"喜び"を"生きる"事への価値と結びつけ、生命力としているのではないか。
"喜び"・・・それは欲から生まれるものだ。私の考えが正しければ"生きたい"と思い生きている人間誰もが、例外なく欲張りであると言うことができる。例えどんなに謙虚に、節約して、世の為に生きていると言ったとしても、所詮それは自分の欲でしかない。
"欲"という言葉で連想する事と言えば、どうしても低俗・下品・みすぼらしいという言葉で説明される"卑しさ"になる。そんな"欲"を世間に反する"後ろ向き"な卑しさではなく、正当な"前向きさ"である喜びに変えるもの・・・それが勉強なのだと思う。
例えば税金の話だが、誰もが積極的に払いたくないと思う。これはお金に対する欲張りだ。しかし、そのおかげで道路が造られ、ゴミが処理され、教育が行なわれ、治安が守られている事を勉強すると、税金を納めることに"前向きさ"を感じられるようになり、自分が世の為に役に立っていると喜びを得る事ができるはずだ。
この前向き思考への転換の契機が勉強であり、そこから喜びを感じられる事を本能的に知っているから、人は前向きさを求めて勉強し、その勉強に"生きる"の源である"喜び"を求めるのだと考える。



私は"生きる"に対しての報酬をお金に見ていた為に瀕死の状態となった。"生きる"事に求める真の報酬は前向きさから生まれる"喜び"であり、その報酬を得る為には勉強が必要だったのだ。
"幸せ"とは"喜び"の連続にあり、"喜び"は"前向きさ"から生まれ、"前向きさ"は"勉強する事"で得られる。故に、幸せに生きるという事は苦労無くしてありえない。私がギャンブルで一気に幸せを得ようとしていた事は、この"幸せへの過程"をないがしろにしたことになり、今の状態は当たり前だったのだと思う。



厚着をしてまで勉強している事を苦しいと思わず、幸せな人生への第一歩と考えて頑張ろうと思う。そうすればその考えは前向き思考であり、後に喜びへと変わっていき、自然と幸せが舞い込んでくるはずなのだから。

只今の借金5868000円 総返済額132000円 
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