石ころの価値

私は借金返済生活スタートと同時に、いろいろな成功者の成功談から様々な人生観を勉強してきた。ある時は今が旬の企業社長であったり、ある時は話題のスポーツ選手だったり、ある時は歴史上の偉人だったり・・・当然、既に成功を収めている人達の武勇伝はそのまま空虚だった私の人生観を刺激し、今の私にある生き方の一部となっている。
だが、世間的に有名な成功者の話だけが人の人生観を刺激するわけではない。成功者をダイヤモンドに例えるなら、それは高貴さ・皆が認める価値の高さで多くの人々を魅了するのは当たり前であるが、自分のアンテナの感受性を高める事によって、身近に転がっている石ころでも価値の高い石へと変えることができる。それは光り輝くダイヤモンドのように皆を魅了するとは言えないかもしれないが、自ら磨き上げる行為で得られる価値はダイヤモンドの価値よりも尊く、自分だけの宝物となる場合が多い。


先日私は会社の飲み会に出席し、上司や部下と酒を酌み交わしながら仕事に対する気持ちを語り合う機会を持てた。語り合うといっても所詮私が飲みにいけるような安い居酒屋でのことなので、酔っ払いが普段の鬱憤をお互いにはらすという自己主張の場とも言えた。
そんな場で誰もが気を使う事無く本音で話をする中、普段は会社の幹部の中では成功よりも失敗が目立ち、とまらないつまらないオヤジギャグがキャラを作っているような、現代風に改革を進めている会社の中で肩身を狭そうにしている直属の上司が、赤い顔して淡々と仕事への思いを話し始めた。

俺は他の幹部連中に比べて頭も悪いし、やる事全てが裏目に出るような頼りない上司だと自分で思うんだよ。
だからお前達には迷惑をかけてることが多いし、助けなきゃいけないのに助けられてる部分もたくさんある、感謝してる。
俺は見ての通り仕事の才能が無い、なめられて当然のダメな上司だ。だから俺は能力的な事よりも"つながり"を大切にしてるんだよ。
周りの部署を見てみろ、どこよりもここが一番仲が良いと思わないか?それだけは自信があるんだ。
俺はこのメンバーの中に入る事ができて本当に運が良かったと思ってるんだよ。

正直な所・・・目を惹く仕事力も無く、会社から問題児のような扱いを受け、いろいろな部署に移動してばかりの中年オヤジというのが部下としての印象だった。しかし、私の部署にこの上司が移動してきてから初めてだったこの飲み会をきっかけに、中年ダメオヤジという見方をしていた私は上辺しか見ていなかったのだなと気付き、そのように見ている私達部下を信頼してくれていた事に感動し、自分の見る目の無さを恥ずかしくも思った。"前向き・謙虚・本質を知る"を心掛けようと言ってる私だが、言ってる本人が上辺しか見れなく、上司を蔑(さげす)んだ目でしか見る事ができず、前向きと言えない考えを知らずのうちに持っていたのだ。
失礼だと思うがこの上司はダイヤモンドとは言えない。メディアで紹介される成功者のような、現代の世間に浸透する価値とは違うからだ。これまた失礼だが、そういう意味ではそこら辺に転がる石ころだと思う。私もそんな感じでしか見れなかった。だが、私は上のような上司の言葉を正面から受け止め、自分の人間性にプラスした。年下に対して謙虚に正直に自分の劣を告白し感謝できるという人格を、私は素直にすごいと思い、今まで勉強してきたどの成功者よりも見習いたいとも思った。
もしも私のアンテナがこの上司の言葉に反応しなければ、上司は私にとってただの石ころのままだった。そして、上司も部下をそのような姿勢で見る事ができなければ、私達部下も石ころのままで今以上の価値を築けなかったはず。上司は私達部下をダイヤモンドの原石だと信頼し、陰ながら磨いていてくれたのだと思う。私は上司に、自分の周りにいる人へ対する価値の見つけ方・磨き方を教わり、普段言っている事を実践できていない私を発見させてくれた。本当に有り難い事だと思ったのだった。
故事成語にこのような話でできた言葉がある。

鶴が谷間の深い沢にいたとしても、その声は天まで届きます。魚が水際で泳いでいたとしても、いずれはまた深くに潜ってしまいます。私が大切に育てている檀の木も、やがて立派に育って人の目を惹く事だろう。それが楽しみなのです。
檀の木のそばに枳殻(からたち)などの雑木を植えて支えにしています。何の役にも立ちそうにない雑木であっても、使い方によっては無くてはならないものになります。同じようによその山で獲れるつまらない石でも宝石を磨く砥石として使う事ができるのです。
鶴がどこにいてもその存在がわかるように、優秀な人物はたとえのに隠れていたとしてもその名は世に広まるでしょう。魚が水の中を自由に行き来するように、賢い人物も自由に何にも縛られずに生活するでしょう。庭に壇の木とそれを支える雑木があるように、立派な君主がいる所にもつまらないと思われる人達がいて支えている事でしょう。
君主になるような人は、どんなにつまらない人物であっても自分を磨く大切な人材として扱う事ができるのです。
詩経』より

関わる人に対する気の持ちようで、それはお互いに磨かれるものとなる。"前向き・謙虚"の大切さはそこにあり、結果として本質を知る事ができ、自分の糧にもなるのだ。何事も興味を失った時点でそこから得るものは何も無い。
私自身も石ころだが、いろいろ学ぶ事で何かの役に立てるはず。そんな【他山の石】精神を大切にし、接する人を磨きながらも自分も磨かれるような生き方を目指したい。
そして今の私は"遊びでの借金"と言う"つまらない石ころ"を自分の所有する山で発見したわけだが、その石ころをつまらないからと言って蹴飛ばすか、それとも自分を磨くために利用するかにより、人生が変わると考える。【他山の石】とともに【自山の石】も並行して、これからを磨いていきたい。

只今の借金5868000円 総返済額132000円 
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