欲求ピラミッドに学ぶ【1】

私が借金をした理由、それはギャンブルでありお金や自己表現に関する欲求が病根として挙げられる。そこから立ち直る為に今こうして自分制御ブログを書いているのだが、この"自分制御"というのは言わば人間の誰もが持つ欲求をコントロールする事。ゆえに私は"脳"だったり"欲求"に関する本を選んで愛読書として、自分を制御する事を勉強し訓練している最中だ。
今日は、そのような欲求について研究していたアブラハム・マズローという心理学者の説から私の病根について考えてみたので2回にわけて書いてみる。


まず、人間の欲求とは"生理的・安全・所属と愛・承認・自己実現"の5つがあり、これらは段階を踏んでいくものだとマズローは唱えている。生理的欲求が満たされたと自分の中で判断すると安全の欲求へ、安全の欲求が満たされると所属と愛の欲求へ・・・といった感じだ。

  1. 私達人間は『生理的欲求』から始まる。これは"食欲・性欲・群集欲・攻撃欲・逃避欲"の5項目からなる人間が生きる為に必要な最低限なもの、言い方を変えれば"野蛮"的なイメージを持てばわかりやすいだろうか。教養・文化というものを必要としない状態だ。今、世間を脅かしている犯罪者というのは、この状態からいつまでも抜け出せない人なのかもしれない。例え時代背景に適した今風な生活や知識武装をしていたとしても、その価値は人間性のレベルという価値とは違うものだと私は考える。
  2. 『生理的欲求』が満たされると、次はそのような生きる為の必要最低限条件を継続させる為に身の『安全』を欲するようになる。学校に行く、会社に勤める、家に帰る、病院に行く、等がこれにあたるのではないか。長い目で見た自分に保障される生活を考えての行動が"身の安全"へとつながる。
  3. 『最低限の生活』・『身の安全』が約束されてくると、次は周囲に『愛情』を求めるようになる。前の2つの欲求が満たされて初めてこの欲求が生まれるのだ。これも"自分の為"に求める欲であり、まだ自己中の域を脱した事にはならない。最近では「某有名男性歌手が不倫をきっかけに3回目の離婚」と報じられていたが、このような人は確かにある領域の才能の持ち主としては評価されるのかもしれないが、"求めるだけで還元しない"という人間性レベルの話では、段階的にここまでといった感じがする。
  4. 次に出てくるのが『承認』の欲求だ。最低限の生活ができる、経済的に安定している、仲間もいる、愛情を注いでくれる人もいる、となると、もっと大きな世界から自分を認めて欲しくなるのだ。今の日本では1〜3までの欲求は普通に満たされるものなので、大半はこの『承認される欲求』によって行動していると言っていいのかもしれない。ただ、段階的には4番目であっても己の自尊心の持ち方でそれは"架空"のものとなるかもしれなく、人間性のレベルとしては1〜3で止まっている場合が多いと考える。今の時代の社会に承認されるというのは、表面的には能力や金銭面から判断される場合が多く、人間性という中身まではなかなか承認の判断基準として考えられる事が少ないからだ。「金は無くとも正しく生きる」考えは今の社会には承認されにくく、「金があるから見た目だけは正しく生きる」考えをできる人が、今の社会に承認されていると私は考えてしまう。これが私の"架空"という理由だ。
  5. 例え"架空"であっても社会的に認められると、『自己実現』の欲求が出てくる。認められた自分の確立・成長・極めというのがそれだ。"生きがい"や"幸せ"がそれにあたると思う。
  6. 1〜5の欲求を"架空"ではなく"現実"として自分の中で満たしたとき、それは『自己超越』となる。ちょっと前に書いた10億円寄付のスーパーおばあちゃんのような人がその域だと私は思う。"自分の為"の生きがいや幸せを"世の為"に変換できる人間性こそ、超越という言葉に適しているのだ。ここに達するという事は人間性レベルにおいても頂点を極めた事になり、1〜5からなる欲求ピラミッドの段階を着実に上がってきたという事にもなる。


マズローの唱えた【欲求ピラミッド】という説に少々私なりの意見も加えて解説してみた。人間の欲求は満たされる事で次の段階へ進み、それを繰り返す事で幸せと感じるのだ。犯罪者を始めとする周囲に迷惑をかける人というのも欲求を満たし、ある意味"幸せ"を感じるのかもしれないが、欲求のレベルが本能に留まると理性の部分も留まる事になり、得る幸せの価値も低くなってしまうのだと私は考える。

続く・・・

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