貧乏人は麦を食え

今のメディアは否定する事で食い扶持を稼いでいるような印象を受ける。亀田三兄弟、政治家の失言、企業の方針・・・全てにおいて否定する事で私達視聴者の目と興味を惹き、いかにも「私達はどこよりも真実を報道しています」的な印象を強要しているようにしか思えない。芸能ニュースを考えるとわかりやすいかもしれない。"誰と誰が結婚しました"というおめでたいニュースはさらっと流されて終わりだが、離婚のニュースとなると会見を一から十まで放送し、その後何日かは至った経緯やらこれからの問題やらでテレビを賑わしている。まぁそれがニーズであり、そんな世の中だと言ってしまえばそれまでなのだが、もう少し明るい話題に執着した世の中を築けないものだろうか。
このようなメディアの餌食となった有名な政治家は多い。餌食となったから有名になったと言うべきか。
「貧乏人は麦を食え」とういう言葉を聞いた事があると思う。これも政治家が発言した言葉で激しくバッシングされ、今では貧乏人を蔑んだ目で見るような意味合いを含んだ言葉として受継がれている。この言葉の生みの親は大蔵大臣・通産大臣・総理大臣と政治の要所を歴任した故・池田勇人氏であるが、実際に「貧乏人は麦を食え」と貧乏人を貶した訳ではない。池田氏は生産者米価の高騰に対する質疑応答から、

「御承知の通りに戰争前は、米100に対しまして麦は64%ぐらいのパーセンテージであります。それが今は米100に対して小麦は95、大麦は85ということになつております。そうして日本の国民全体の、上から下と言つては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやつております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそつたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります」

と、言っただけだ。これもやはりメディアの力によって、面白おかしく作られた言葉だったのだ。
今日はこの「貧乏人は麦を食え」から感じる私の意見を書いてみようと思う。
私は今、誰が見てもお金持ちとは言えない生活をしている。このブログのタイトル通り、その原因は借金によるものだ。金持ちとは言えない・・・要は貧乏人という立場にあるわけだが、私はこの言葉に対して否定しようとは一切思わない。と言うか、真っ当な社会的な意見とさえ思う。
確かに今の世の中で言えば「貧乏人は麦を食え」という言葉は否定されて当然の言葉だと思うが、否定されたからといって貧乏人がお金持ちと同等な暮らしをできるわけでもない。お金持ちは偽善的に、貧乏人は世論を味方にして愚痴や不平不満を言いふらしているだけという見方もできるわけだ。そのような考えの中で、私は何もしないで吠えるだけの人間にはなりたくないと思ってしまう。もうどうしようもない世の中の仕組みによって、身分が決定されていたようなちょんまげの時代ではないのだから。
今は頑張り次第でそれなりの経済的発展の可能性がある、努力無しにして勝ち組に居続ける事だって危うい時代なのだ。要は"チャンス"を"チャンス"と捉えられるか、妥協によってその"チャンス"を逃していないかだと思う。2007になって経済が上向きになり、景気が上昇気流に乗ったという見方がされているが、これは貧乏人が麦を食う生活があったからこその現実と言える。企業が正社員を削り、パート・アルバイト主体に態勢を変え、安い賃金で利益を捻出してきた事が今に繋がっているのだ。その中ではやはり貧乏人といわれるパート・アルバイト、若しくは私のように正社員であっても安月給の方々に不満が募るのは仕方が無い・・・これが「貧乏人は麦を食え、金持ちはコメを食え」の意味であり、国や経済はこの当たり前によって成り立っていると言っているだけなのだと私は思う。
で、ここで私の前向き理論の登場となる。麦を食うのが嫌なら不平不満を言ってストレス発散するよりも、米を食えるように努力すればいいだけの事ではないだろうか。先にも言ったように、今の時代に逆転できないという概念は無いのだから。多くの勝ち組がその地位を維持できずに脱落し、予備軍の中からその地位に新しく参入する入れ替わりの激しい世の中、これをチャンスと言わずに何と言うのだろう。
あるジャーナリストがこう言っていた。「ニートやフリーターを助ける策を国会で検討するよりも、敢えて突き放してやればいい。社会に貢献する人間はそこから這い上がってくるはずなのだから」と。人間の世界として考えるからこれはモラルの問題となるだけで、宇宙的な感覚で考えればこれは当たり前なのだと思う。発展の影には同じだけの犠牲があるということだ。動物の世界である"弱肉強食"をかわいそうと思うのが正しいのではなく、それが自然の摂理だと理解するべきなのだと思う。ただ楽するだけ楽して義務を疎かにし、権利だけを主張するような人間には私はなりたくない。
努力無くして米を食えないのは当然であり、米を食えない貧乏人でも、国の力や経済を立派に作っている一員なのだというのが「貧乏人は麦を喰え」の真理なのだと思う。
このような真理を捻くれた報道でうやむやにしてしまうメディアは問題であり、それに乗っかってあーだこーだと図々しく都合のいいことを並べる世間も同罪であると私は思う。しっかりした自分の考えを持ち、間違っている事を自分で判断し否定する自分らしさを持つ事が大切なのだ。



私は今、麦を食って生活している。だからといって人間として否定されているとは思っていない。逆転し、米を食えるようにと這い上がるつもりでいる。
不平不満を言うよりも、時間や労力の犠牲を影に、進んで自分自身の発展という光を見るような生き方をしたいと思っている。
【貧乏人は麦を食え】
これほど貧乏人を応援してくれている言葉を私は他に知らない。

只今の借金5858000円 総返済額142000円 
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