「利と理」の化かし合い

船場吉兆農水省に報告書を提出したというニュースが昨日メディアで報道されていた。船場吉兆については当ブログでも批判したことがあるが(http://d.hatena.ne.jp/jmmjf524/20071118)、その時に対比したのが10億円寄付のスーパーおばあちゃん。船場吉兆の会見で泣いていたのも社長夫人で創業者の三女であるおばあちゃん・・・考え方一つでこうも対照的なニュースになるのかと思い、たとえ上流と言われる人達であっても、そこまでに辿り着く過程が大切なのだと思った。やはり人間何事も結果を残せずとも、過程だけは慎重に積み重ねるべきだという事を考えてしまった。
船場吉兆もそうなのだが、私も借金を重ねている時は平気で嘘をついていた。人とは不思議なもので、一度経験した嘘はその場を上手く凌げてしまうと二度目、三度目、それ以降も何の罪の意識も感じなくなるものだ。そして、その嘘の大半は自分を守る為のものである。
自分の何を守るのか・・・それは"利"であり、"理"でもある。
私達は快か不快か、得か損かで物事を考え行動する事が多いのではないだろうか。ミスをすれば誰だって不快であり、そこから被る損を第一に考えてしまいがちだ。
そこで、自分を守る為に取り繕う上辺だけの飾りが"利"による嘘となる。私の場合、ギャンブルで負けた時に「負けました」と素直に自分のミスを認められない意地がそれだった。
当時私は職場で"勝ち続けるギャンブラー"として持て囃されて、羨まれていた。確かに最初は勝ち続けて安月給からは想像できない生活をしていたのだが、そうそう世の中は甘くないもので、勝った分だけ負けるようになり、次第に負け続けるようになった。しかし、一度経験した"勝ち続けるギャンブラー"という優越感は失いたくない・・・
そして、私は自分を嘘で飾り始めた。
休みの次の日は職場の仲間から決まって勝負の行方を聞かれるのだが、優越感を味わいたい私は自分を飾り続けた。妻にも、友達にも・・・挙句の果てには"勝ち続ける"から"勝ち続けなければならない"という概念を自分自身に飾り始めた。"勝ち続ける"為には"やりつづけなければいけない"・・・これがギャンブル依存への道となっていった。"利"とは、何もお金だけではない。自分の持つ理想や周りからの期待に常に応えたいという自負心のほうが大きいと思う。
このように自分への飾り付けが慢性化してくると、それに見合った意味付けも必要となってくる。それが"理"の為の嘘となる。道理・条理・理論・原理・・・このような言葉に使われるように、"理"とは筋道、つまりそうなっている理由とそこにあるべき結果の事だ。私の場合であれば、「勝ち続けているのならお金はあるはず」・「勝ち続けているなら資金は無くなるはずが無い」というのが筋となる。"利"を求めついた小さな嘘を"理"の為の大きい嘘でカバーしていく悪循環となっていったのだ。故に消費者金融へと踏み込んだ。架空の"利"の維持・・・それが"理"の嘘だ。


生物は自己保身の本能があるので失敗を失敗と捉えるのは難しい。だが、人間には理性という心・意識がある。自分中心にしか見れない"ミクロな視点"ではなく、長い目で見る"マクロな視野"が必要なのだ。
失敗は成功のもとというが、失敗を失敗と捉える事ができなければ成功は無いものと考える。現に私は"利"による"理"の為の嘘で失敗し、それを正面で受け止めたから今の自分があると思っている。
嘘による"利と理"は"狐と狸"と同じで互いに化かしあうもの・・・そこに現実は存在せず、化けの皮が剥がれた時に初めて自分の空虚さに気付くものなのだと思う。

只今の借金5858000円 総返済額142000円 
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