妻を"かわいい"と思う理由

テレビを妻と一緒に見ていた。何かのクイズ番組だったのだが、漢字の読みを答える問題で『湿布』という熟語が映し出された瞬間、妻は「こんぶっ!」と発した(答えは"しっぷ")。この間違い方をみなさんはどう思うのだろうか。「アホ」「バカ」に「救いようの無い」という言葉を付け加えても言い過ぎた感は無いだろう。私も一瞬そんな感情を持った。でも、本心では惚気る訳ではないが"かわいい"とも思った。
この事を機に、私が妻に惹かれる理由を何となく考えてみた。30年近く生きてきて"湿布"という漢字さえ読めなかった妻の良い所を。
それは人間らしい所なのかなと思う。喜怒哀楽を素直に表現でき、思った事を躊躇せず発言でき、何も考えていないように見えても実際は周囲を心底から気遣っている、人の良い所は素直に「すごい」と称える事ができ、どんなに仲の良い人でも悪い事は悪いと注意できる・・・一言で言えば『体裁』の無い飾らない所だろうか。
人は自分に無いものを欲しがるとはよく言ったもので、私には上に書いたような要素が一つも無いから、妻のような人柄に惹かれるのだと思う。
私は何かと相手の顔色を伺うように過ごしてきた。そして、自分の喜怒哀楽はなかなか表に出さず、出す事は愚か者のすることだとさえ思っていた。何に対しても冷静を装う"無愛想さ"を"クール"だと都合よく捉え、何かあれば体裁を気にして周囲には良い格好をするが、実際は上辺だけの建前であった。自分より能力の優れる人が近くにいると悔しい感情だけが沸き上がるだけで認めることなど一切無く、かと言って追い抜く努力をする訳でもない。明らかに悪い事をしている人を見ても、正義感はあるものの自分に火の粉が降りかかるのを恐れ見てみぬ振りの臆病者・・・これが私、要は『自分がかわいい』だけの人間だ。
このような人間だったから、妻のような自分を飾らずに、自分を可愛がる裏の一面を持たない人間に惹かれたのだと思う。たとえ"湿布"という漢字を読めないような一般的に言う"知能"は低くても、"社会的知能"や"感情的知能"と言われる人間性を創る"超知能"において、私は妻に敵わない。少し前までは、学校で習うような知能が私よりも劣ると感じた時に「アホ」「バカ」という言葉を事あるごとに妻へ浴びせてきた私だが、人間性を創る"超知能"の存在を知ってからは言えなくなった。


今の時代、一般的に"頭の良さ"と言われる知能を物差しに"人間の価値"を決める傾向が強い。しかし、そんな物差しで決められた価値は実際には当てにならないものだと最近感じるようになった。政治家や大企業の不祥事なんかが良い例だと思う。
身近なところでは私と妻。私は県内で進学校と言われる高校を卒業し、妻はそれよりもランクの低い高校の卒業なのだが、私はギャンブルで借金を作る始末・・・妻はそんな私を支えてくれている。「人間の価値」という評価を下すならば、どちらの価値が高いかなんて考えるほどのものではない。
その人間としての価値"超知能"の高さと、一般的に"頭の良さ"と認識される知能とのギャップ・・・私が妻を"かわいい"と思ってしまうのはそこなのかもしれない。


私のような、逆によって生じるギャップは与える印象も逆に"かわいい"ではなく"憎たらしい"ものとなる。だが、そんな憎たらしい私を妻や周囲の方々が支えてくれてるという事は、"憎たらしいほどかわいい"という範疇で大目に見てもらっていると前向きに考えてみる。
これからは、心から"憎たらしい"と思われないよう、そして私が妻を想う様に、心から"かわいい"と思われるよう借金完済と人間性構築に向けて精進していきたい。


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