借金曼荼羅

お客様から企業へ、企業から社員へ、そして社員はお客様として他の企業へ、その間に税金として国へ、国は他国へ・・・お金はいろんな所を回りまわって経済を為している。植物は酸素を作り、その酸素を人間や動物が生きる為に使い、人間や動物が吐き出した二酸化炭素を植物は生きる為に取り入れる。人同士は心を通じ合わせる事で助け合い、持ちつ持たれつの関係を築き支えあっている。
このように社会・・・いや、地球規模で全ての生物が輪を作り、和によって世界が作られている。そして、そのような生態系こそ私達人間を含む全ての生物が存続する為の本質であると言える。
このような考えを示す仏教用語で【曼荼羅】という言葉がある。本質・真髄・円・円満という意味を持つこの言葉は、私のようなアウトサイダー的な生き方をしてきたものにとっては非常に新鮮な感覚を与えてくれる。
私の場合、自分を社会という円の中心において考え生きてきたのかもしれない。「中心にいれば周りが何かしら気遣ってくれて助けてくれるだろう」、「自分を守る為に社会がある」・・・具体的にこのような図々しい事は考えたことは無いが、私が借金を作り貸主様に泣きつくまでの過程はこのようなエッセンスがあったからだと思う。普通に考えれば600万というお金は大金であり、借りて遊ぶような金額ではない。万が一の危機を想定した場合に「誰かが助けてくれるのでは」という甘い考えがないと到底できない行動だ。
自分を中心に据えて物事を考えるという事は、『自分に甘く他人に厳しく』精神の巣窟となってしまいがちだ。謙虚さは失われ、与えられてばかりで与える事を考えない、挙句の果てには要求してしまう、中心にいるからと言って周りを見渡す努力をするわけでもない。もう何もかもが自分に都合の良いようにしか考えられなくなってしまうのだ。
曼荼羅】とは「附門即一門」・「一門即附門」という言い方で表すことができる。"一門"とは絶対的な力を持ち、常にその力を分け与える事ができる神『大日如来』を言い、附門とはそれを取り囲む化け物の事を言う。「附門即一門」とは、附門のどこから入っても一門である『大日如来』に到達する、「一門即附門」とは、化け物が附門のどこにいても『大日如来』の力を与えられるという事。要は、絶対的な力を持つものは、化け物であっても差別無く力を与える事ができるという【世の為・人の為】精神を持つという事を表しているのだ。私のような自分勝手な人間が中心にいる事など許されないという事だ。
では、【曼荼羅】で中心に据えられるような『大日如来』的な存在とは、今の世の中でどのような人をいうのか。私の考えでは、それは人間ではないと思っている。マザー・テレサナイチンゲール・・・世界的に有名な偉人さえ"附門"という全ての化け物相手に力を与える事など不可能だと思うし、ましてや今の世の中に自分の利よりも他人の利を考えられる人などいるとは思えない。万が一どこかにいるとしても、私自身がその人に力を貸してもらったことがないのだから違うはずだ。
粗末にすると災いがふりかかり、大事にすると力をもらえ、全ての附門が力をもらい、全ての附門が通じるような『大日如来』のような神様・・・それは"お金"ではないだろうか。そう考えれば附門、一門の話は説明がつく。
一門という神様はお金、附門という化け物は人間という事だ。


自分を中心に考える=自分が神様だと思っていたという事か・・・何とも馬鹿げた情けない事を考えていたのだろう。今の状況も当然の罰だったというわけだ。
この【曼荼羅】は全てが輪となり円となり繋がっている事を本質をしている。私も附門としてその一部なら、何かしら力をもらいながら今も助けられれているという事だ。今の私はお金で失敗を経験したことで、その尊さを学び、人間として進歩することができている。貸主様、妻、家族、その他関わる全ての人に助けられて今の生活がある。「附門即一門」・「一門即附門」とは良く言ったものだ。
これから私は今まで与えてもらった分を還元していかなければいけない。それが本質というものなのだ。エコ・節約・環境問題、身近なところでは借金完済がそれに当たる。私はそのような事を思うようになって5ヶ月が経つが、慣れてくればそれが普通になってくる。そして、借金を重ねていた過去に比べてかなりの充実感を感じるもの。
曼荼羅も満更でもないものだ」・・・そう思えてくる今日この頃である。

只今の借金5858000円 総返済額142000円 
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