自分淘汰

このブログでも数取り上げた事だが、今年は有名食品企業の不祥事が目立つ年だった。不二家白い恋人、吉兆と名立たるブランドが消費者を欺く形で信用を失っていった。どれも賞味期限を改ざんした悪行であり、築いてきたブランドの信用を逆手に取るような卑怯さを感じるものだが、そのブランドを守る為に、食材や資源が値上がりしていくご時勢に必死にやり繰りしているのかと同情してしまうところもある。
ブランドに関しては投資の世界でも企業の苦労をニュースでよく耳にするようになった。ファンドがブランド企業(シャネルなどのブランドではなく各分野ごとにある企業独自の名前など)の株を買い漁り、経営者に経営方針を指図するような世界と変わってきた。某テレビ局の株を某投資家が大量購入し経営権を争ったのも記憶に新しい。
伝統を重視した大手企業は、時代のニーズに合わない商品を作り続けても"信用価値"があるから今でも存在できているが、この伝統を重視したブランドの放置が外国の投資家に狙われ、"事業価値"を指摘され始めている。経営側は長い年月をかけ血眼で顧客から信用を築いてきたのだから面白くない。"事業価値"の指摘は企業の伝統崩壊を促すものとなり、今の世の中に事業展開するという事は、ブランドとして築き上げた社名や商標の大安売りとなる恐れも十分ある。

冒頭に書いたような不祥事が起こる世の中だからこそ、伝統は重視され社会的意義を尊重した取り組みが必要となってくる。事業を大きくするという事はブランドを淘汰する事であり、あれもこれもと加えていく事ではないと私は思う。そして、ただ守る為に取り繕うのではなく、信頼あっての・顧客あっての企業だという事を忘れてはならないはずだ。


ここからは私の話。
多重債務という過ちがあろうと、田舎でひっそりと頑張っていようと、二十数年生き築いてきた"私自身"は私だけのブランドだ。それが世間から買われるブランドかと言えば全く自信は無いが、大安売りする気はさらさら無い。
私も冒頭に書いた企業と同じで、"自分ブランド"を守る為に不祥事を起こしてしまったのだが、そこには段階を踏まない大きすぎた夢や欲望という必要の無い付加があったことが原因となる。周囲からの圧力とも言える世間の様は、余計なものに価値を見出すはめとなり、自分ブランドの真価をないがしろにする事となった。
言い換えれば、自分の魅力や能力を私自身が理解しようとしなかったという事。これは高級バッグの素材やデザインの良さをわからずに、ただ持つだけで自分自身の価値が高くなった気がしている勘違い人間と同じだ。『なぜ大切にしたいのか』・『どこに良さがあるのか』、このような問いに答えられて初めて、ブランドの存在の意義があるのだと思う。
「淘汰」という言葉がある。これは不要なものを除き去ることを意味する言葉だ。そのブランドの最大の特徴であり、それがあるからブランドと成り得る要素を研ぎ澄ましていく事で、信用はさらに築かれ、ブランドは強固になっていく。

人間が長い歴史で信頼し好んできたものにお金がある。
人それぞれお金というブランドに思う事は様々だと思う。旅行にいける・美味しいものを食べれる・好きなことができる・・・しかし、これを淘汰していく事で最終的にお金の価値は
『なぜ大切にしたいのか』・・・得るのに苦労するから。
『どこに良さがあるのか』・・・生きていけるところ。
と、なるのではないだろうか。皆はそこに必要性と価値を見ているはずなのだ。お金は節約するもの・使い方を考えなければいけないもの、と考えることができる人は、お金の持つブランドの真価を見れていることになる。

私のように、お金・地位・名誉・自由・・・最初からこのようなものを意識し今あるブランドの魅力に付加しようとしていくのではなく、今持つ魅力や個性を磨いていく【自分淘汰】こそ、"自分ブランド"を築き上げていくことになるのだと思う。

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