公平の不公平

一昨日の当ブログ記事【『過ぎる』ことの愚かさ】で「大らかすぎず、繊細すぎず」について書いたが、「繊細」を説明する所で書いた

機械的な正しさとそれに組み合わせただけの罰というミクロな答えの積み重ねは隙(抜け道)を作る事になりかねない。

という考えが表れたとしか思えない判決公判が、本日福岡地裁であった。福岡3児死亡事件の今林被告への判決だ。この判決を知り私は、法律とは機械的に答え(刑罰)を導く為の公式でしかないのかなぁと思ってしまった。
要点は"故意犯か過失犯のどちらを適用するか"だったわけだが、判決は過失犯という事で決定され、被告の刑罰は大幅に軽減された。
確かに、「事故を起こす可能性はわかっていたが死亡事故を狙って起こしたわけじゃない」のは事実だと思う。これは故意か過失かを判断する二つの説の内の一つ『認容説』によれば過失で間違いない。認容説では、"犯罪結果の実現は不確実だが、それが実現されるかもしれないことを表象(直感的に心に浮かぶ事)し、かつ、実現されることを認容した場合"に故意となり、認容していなければ過失となる。つまり、「事故を起こす場面を想定できてはいたが、その場面が実現するよう心掛けてはいなかった」=「認容(受け入れること)をしていなかった」=「過失」となる。
そしてもう一つの『認識説』。こちらは認容という"意思"を考えず、心の中に結果を思い浮かべた時、その結果が起こりうる蓋然性(確率)が高いか低いかの認識の仕方で判断する。この件では、「酩酊状態ではない」と判断され、まさか車ごと転落させる事になり、その上三人の子供が犠牲になるとは思うはずが無いという事で、"不運の事故"と判断され過失となったと思われる。


私は、このような判断基準を用いて人の死に対する罰を決定する事に疑問を感じる。この件に関しては、まるで被告側が"故意"と"過失"という刑罰の差を考えた上で、その判断基準を利用し"過失による大幅軽減"という答えを導き出したとしか思えないからだ。どう考えても、「公務員が飲酒運転をして罪の無い子供三人が犠牲になった」という事件は、第三者からしても軽減された懲役7年6ヶ月ほどの刑罰で足りるとは考えたくない。三人の子供の命を、法律にある隙(抜け道)が軽くしてしまったと言ってもいいと思う。感情論とは理性に欠けているという事で非難されがちだが、"死"に関しては感情的な部分を判断の基準とする余地を残しておいてほしいと私は考えてしまう。まぁ私がいくら国家に異論を唱えたところで、「これが日本の司法なんです」と言われてしまえばそれまでなのだが・・・。



私の借金は故意なのだろうか、それとも過失なのだろうか。
利息の高い借金をする事で自分が苦しくなるのは容易に思い浮かべる事ができたが、そのような事態を受け入れてはいなかった。これは認容説によると罪の軽い過失となる。
また、利息の高い借金をする事で自分が苦しくなるという結果を心に思い浮かべた時、その確率は次第に高いと思うようになった。これは認識説によると罪の重い故意となる。
裁判にかけられ故意か過失かの公判がどっちに転がるのかというのは、私の借金の過程から判断基準に基づきいろいろな検証を繰り返しながら予想していくぶんには面白いかもしれない。
だが、実際私にとってはどうでもいい事。そんな機械的な、パズルを完成に向けて組み立てていくような検証など、当人にとっては何ら意味の無いものだと私は思う。必要なのは"人が人としてどう評価するか・されるか"という部分ではないだろうか。
確かに、お金に厳しい考えを持つ人と緩い考え方を持つ人とでは評価の差が出ると思うし、それは偏ったものになるかもしれない。だが、その最終的な評価が同じ人間の直感的な思想から、時代に求められる価値観から生まれたのであれば、どんなに重い判決がくだされようと私は納得できる。そこにはいろいろな意見が信用できる判断基準とて確立し、機械的な流れによって生じる抜け道が無いからだ。
小さな考えが集まり大きな考えとなり、その両極端から同じ距離にある中心の針がどの考えを指しているのか・・・これが公平というものではないか。日本の司法は小さな考えの中心を集め大きくし、その大きくなった考えの中心を見ようとしていないと思う。特定の人(針)が都合の良い小さな中心の一つを選び、あたかもそれが全体の中心であると決め付けているような気がする。そのような曖昧さが細工を可能にし、公平を装っているようで実は不公平となっているのではないか。


公平とは全てのものを同じように扱う事を言うが、悪を善と同じように扱ってはいけないはずだ。今回の判決は、三人の幼い命と被告の罪を同じ重さで扱う事が大切であり、型にはめられた法律で罪の重さを量るべきではないと考える。
何が公平で不公平なのかがわからない世の中だが、私は以上のように考え、『借りたものは返す』というのが借金に持つ公平さだとして頑張っていきたい。


この事件で亡くなった、ひろあきちゃん、ともあきちゃん、さあやちゃんのご冥福を心からお祈り申し上げます。





只今の借金5834000円 総返済額166000円 
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