知ろうとしなければいけない義務

坂本九さんの歌をテレビで聞いた事がきっかけで書いたのが昨日の記事だったが、そのきっかけとは妻が借りてきた『空から降る一億の星』のDVDだった。最終話で流れた「見上げてごらん夜の星を」がとても印象深かったドラマだが、今日、このドラマの内容に良く似たニュースが表示されていたのを見て私は驚いた。
そのニュースの内容は「英国で結婚していた二人が実は双子の兄妹と発覚、婚姻関係は取り消し」というものだ。このニュースで英国の議員は、「自分の生物学的な親を知る権利は人権の1つだ。子どもが事実を知る機会がなければ、この双子のような事例は今後も出てくるだろう」と"知る権利"に関しての警鐘を打ち鳴らしていた。双子は生後間もなく別々に養子とされていたようで、奇跡的に惹かれあった結果に結婚したのだが、もしも自分の生息に関する情報開示がきちんと行なわれていたら、このような悲劇は起こらなかったというわけだ。


今、身近なところでは賞味期限や食品添加物の提示が義務付けられ、私達は安全に暮らす為の情報を知り得る事ができる。そして、私達庶民の知らないところで行なわれていた政治の世界までも、メディアによって詳細を知る事ができる時代だ。これは企業や行政側に対する提示の義務というよりは、私達消費者が必要とする情報を得る権利【知る権利】から移り変わっていったのだと思われる。"安全・安心"がテーマとして存在する世の中だからこその重要な権利だ。しかし、理論的には"弱い立場にある庶民にとって最重要なもの"であるが、国家または企業⇔マスメディア⇔庶民というほぼ完全な分離がある為、実際は効力がうすいものとして見られているようだ。

権利を主張する上で外せないのが【自由】だ。自由には"積極的自由"と"消極的自由"という考え方があり、自己実現を目指す「〜への自由」が積極的自由、他からの圧力に従わない「〜からの自由」が消極的自由とされている。
今日はこの二つの"自由"から私の借金を振り返り、これからの将来を考えて見たい。
まず、私がギャンブルに走りお金儲けを企んだ事はどちらの"自由"となるのか。お金持ちになって良い暮らしをしたいからという夢の実現を求めた"積極的自由"だったのか、それとも、上流下流の存在する格差社会からの圧力に反発しようとした"消極的自由"だったのか…。
「〜への自由」というかっこいい考えのもとに我武者羅に頑張った結果…と言いたい所だが、今になって考えれば後者だったと思わざるを得ない。当ブログで何回も振り返っているように、私は周囲への見栄を気にして、大きく言えば社会に大見得を切るような生活をしていた。「(格差社会の)底辺からの自由」を目指していたのだ。これは不条理なものからの脱却を意味する自由というよりも、己に不都合な条理からの逃亡と言え、「どうしても上流の生活を知りたいんだ!」と言わんばかりに一方的で傲慢な【知る権利】を主張していたに過ぎない。
何も"消極的自由"が悪くて"積極的自由"を推奨するわけではない。私は権利を主張する前に義務を怠っていたのが今に至る原因だったと言いたいのだ。
怠っていた義務とは何か・・・それは勉強する・学ぶという【知ろうとしなければいけない義務】だったと考える。お金の大切さ、仕事の大切さ、人間関係の大切さ・・・生きる上で大切な事を学んだ人だけが、知りたいことを知る権利があるのではないだろうか。私が目指した上流の生活…これを知る為にはいくつかの"知らなければいけない義務"があったのだと考え、その義務を果たす事無く一方的な権利を主張する事は、ただのわがままだということだ。
冒頭に書いたニュースであれば、"自分がどのような親から生まれどのように育ってきたのか"という生い立ちが、二人が婚姻関係を結ぶ為の"知ろうとしなければいけない義務"(積極的自由)であり、その情報開示を求める権利が"知る権利"(消極的自由)という事。つまり、「〜への自由」(積極的自由)無くして、「〜からの自由」(消極的自由)は存在しないというのが私の考えだ。
私の将来をこの考えから導こうとするのならば、「借金返済生活からの自由(脱却)」を第一に求めて返済活動を行なっていてはダメだということ。まずは、「借金返済生活からの脱却する為の大切な事を学ぶ」という義務を果たさなければいけない。これは義務という名目ではあるが、私が成長する為に行使できる権利とも言える。この流れが、【知る権利】の真意なのだと思う。



上に【知る権利】の効力がうすいと書いたが、私達庶民が「メディアに頼り学ぼうとしない」という権利と義務の放棄が原因だと私は思う。国民は一方的に投げかけられた情報に不都合さを覚えた時にしか、知る権利を行使しようとしない。これは私の借金に例えると、借りる時には"ありがたい"と思って借りていたのに、いざ首が回らなくなると金利の高さやその意味に疑問を持ち、説明責務を問いただし始め、あわよくば状況を良くしようといったわがままを言い出すのと同じだ。最初に私は金利の高さとその意味を知ろうとしなければいけなかったのだ。


私は今、借金完済はもちろんだが、それよりも人間として真っ当になれるように心掛けている。それが私に課せられている借金完済へ向けての"知ろうとしなければいけない義務"であり、将来の自分を"知る権利"の行使なのだ。

只今の借金5834000円 総返済額166000円 
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