借金に大切な三つの【De】

柳原可奈子のショップ店員のネタのように、敏感過ぎるほど周囲に気を使う人は多い。私の周りにも職場・よく行くコンビニに思い当たる人がいるのだが、これは本人が思うほど気の利いた行動とは言えない。
私は、仕事は集中して一切の余念を断絶したいタイプだし、買い物はコンビニに限らず楽しんでするタイプではない。例え楽しんで仕事・買い物をするにしても、あまり自分の世界に入ってきてほしくないタイプの人間なのだ。だからといって飲み会などで一人寂しく飲んでるわけでもないし、人との会話が嫌いなわけでもない。他人からすると気難しい扱いにくい人間の代表のような感じだと思う。
"鈍感力"という言葉が流行したが、私はこの言葉をとても気に入っている。これは私がお金に対して鈍感だったような先天性のものではなく、自らが意識して作り出した力の事だ。私のような難しい人間を目の前にした時には、雰囲気や行動から察して気付かないふりをする・必要な時にだけ声を掛けるよう準備するといった、第六感的な感覚がそれだと思う。
ダウンタウンの松ちゃんが、「俺は人見知りだからけっこう隅の方から観察するように人を見ることが多い。だから人が何考えてるかがだいたいわかる。逆にいつも中心にいるような奴らは人の気持ちがわからない事が多い。自分で精一杯だから。」と、昔何かのテレビ番組で話していたのを聞いた覚えがある。本当に気の利く人というのは自らしゃしゃり出ず、必要に応じて助け舟を差し出すように遠くから見守ってくれる人をいうのだと私は思っている。


このような些細な心配り・気遣いは『デリカシー』という言葉でも表現される。私の借金をデリカシーの有無という点で考えると一体どのような問題があったのだろうか。
お金に関してのデリカシーだが、これは全く無かったといってもいい。自分を中心に考え、お金は自分を飾る道具と考えていた。ポケットにあったはずの100円玉が無くてもどうでもいい、遊び(ギャンブル)で得たお金はどぶに捨てるような感覚で浪費、お金をいかに見下げて自分の周りに置いておくかがステータスの高さだと思っていた。
そして周囲の人へのデリカシーだが、これも皆無だったといえる。「お金持ちになって家族には楽してもらおう」・・・こんな考えは一見優しさを感じさせる一言だと思われがちだが、先に書いたような敏感すぎるしゃしゃり出に他ならない。優しさの押し売りであり、その価格は尋常ではない高さとなってしまった。相手の気持ちに・立場になって考えなければ敏感は過敏に、気遣いはお節介となる事を私は知っていたはずなのに、私は何故このような行動をしてしまったのだろうか…。
原因は自分自身へのデリカシーの無さにある。私は過敏すぎるショップ店員のように自分へのセールスを迫っていたのだと思う。プレッシャーをかけるつもりは無いけど何か行動をおこしてほしい、期待に応えてほしい、お前にはこの生き方がかっこいいんじゃないか・・・勧めているのが自分だけに疑う事さえしなかった。自分らしさを勘違いしてしまっていた。


今考えてみると、自分らしさに欠けている事が私の人格を作ったと言えるのかもしれない。他から干渉されるのを嫌うのは私自身がもろに影響を受けやすい事を知っているから、自分による自分の為のお節介に忠実だったのも己の確固たる軸が無かったことにあせっていたからなのかなと思う。
周囲を見ることもままならなかったが、自分自信さえ遠くから見ることができなかったのだ。





この三日間、私は借金返済に必要な三つの【De】について書いてきた。
Democracy(デモクラシー)/Delight(ディライト)/Delicacy(デリカシー)だ。
デモクラシーでは借金に関する責任を、ディライトでは借金に関する前向きさを、デリカシーでは借金におけるロジカルシンキングをテーマにを私なりの考えで文章にした。
正直、これらが的を得た意見かと迫られれば自信は無いが、少なくとも私は自分の進むべき方向だと信じて歩いていくつもりでいる。

只今の借金5834000円 総返済額166000円 
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