真っ当である為の法則

今日は仕事でいつも良くしてもらってるお客様から"おひねり"をもらった。その場には私しかいなくて、そのおひねりはもちろん部署全員へ向けてのものだということは知っていた。
正直に言ってしまえば…まだ一瞬迷う自分がいる。その金額はお小遣いから毎月借金返済に充てる額の数倍、完済を目指す私にとって・・・いや、借金に苦しい生活を強いられている人なら迷うのは当然の事なのだろうかと考えてしまう。

以前の私ならねこばばしていたかもしれない。「私が接客したのだから」・・・こんな理由を見つけては自分を正当化し、泥沼にはまっていくのが容易に想像できてしまう。自分中心にしか物事を見ることができないというのは本当に惨めで悲しいものだとつくづく思う。当然、おひねりは部署の飲み会用に全員がわかる所に保管しておいた。



今日のような迷いに決着をつける時、「真っ当」という言葉を思い浮かべる事で私は自分の中にある悪を追い出す事に成功する。
「真っ当」とはまじめな様を表す言葉・・・これが身についている"できた人"ならば何も苦にならないだろうが、私のように一癖も二癖もある輩には非情に鬱陶しく感じる言葉であり、そのように生きることが苦痛と感じてしまう。そして、何が"真っ当"なのかさえわからないケースも多い。
私はある出来事に対する"真っ当"な道を見つける為に、ある法則を用いて自分なりの"真っ当"を見出すようにしている。本当は哲学書を読み漁りいろいろな知識を蓄え、その中から適した"真っ当"を見つけるのが一番だと思うが、そんな時間も無いというのが実情だ。
法則1・・・『愚直に考える』。
バカ正直に、いろいろ詮索せずに素朴にいこうというのが一つ目だ。お金の便利さを覚え、借金の手軽さを覚え、ギャンブルに快感を覚え・・・私は楽しく生きる事に関して良くも悪くも多くのテクニックや抜け道や駆け引きを学んできた。これが楽しいで終わればいいのだが人間なかなか欲深く、裏技から生じる自己の利は他の人の利を不公平な形で奪うようになる。これはさすがにどんな考え方をしても"真っ当"とは言えない。"バカ正直に"と言って「欲しいから自分の物だ」というわけではない。"正直"とは正しくて自分に素直な事、それにバカをつけるという意味での"愚直"だ。


法則2・・・『目先の利益よりも長い目で見た利益』。
これはおそらく何事にも共通する賢い選択だと私は思う。私は今まで目先の利益を求めて良い思いをした事はほとんどない。たぶんこれからも無いだろう。30年近く生きてきた経験からの法則だ。


法則3・・・『見える利益よりも見えない利益』。
私にとってこれは信頼・信用関係のことだ。見える利益とは「モノ・カネ」を意味する。
この法則を併用すると私なりに納得できる道が開けてくる。もしかしたら損をする場合もあるかもしれないが、後で心苦しくなるよりは絶対いい。後に不安を残す選択はもうコリゴリだ。



おひねりの件は私の性格どうこう言う前に人として当たり前なのだと思うが、事実そこに迷ってしまう私がいるのだから情けない…。今は"真っ当"に生きる為の訓練期間であり、試金石なのだと思う。
私の"真っ当"の法則からすれば今の時代では物理的に損をすることが多いだろうが、それが長い目で見たときに大きな財産になると思い、これからも人として・人らしいと思われる人生を全うできるよう心掛けて生きたい。

只今の借金5834000円 総返済額166000円 
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