見えないことの優劣

歴史で見る"貧富の差"とは身分の違いによって生じていることが多い。また、よくある話は身分の高いものほど品が無く、身分の低い者ほど気品があるという逆格差。貧しい生活をする者ほど物事を大きく見ることができ、美食・美衣に明け暮れる者ほど視野が狭いとは・・・まぁ世の中そんなものである。

実際、私自身も例に漏れず貧しくなってから視野を広く持てるようになった。人との繋がりを貴重に思うようになり、お金に対しては接する際の意味を尊重するようになった。お金が無いという事は行動範囲が狭くなるという事、そしてやれる事も少なくなるという変化があり、その中で時代に流される事なく現実を直視する為に必要な事として、人との繋がりやお金の意味を考えるようになり、周りを見渡す時間も必須になってくるのだろう。
『恋は盲目』というシャレた言葉があるが、お金や物にばかり価値を求めてることも"人としての常識や理性が失われる"ということで同じように思う。しかし、残念ながら「モノ・カネ」は愛される事はあっても愛を返してはくれないらしい。私は借金によって開眼した。
きちんと眼を見開いて物事を観察するといろいろなものが見え始めてくる。粗食の中に食べられる幸せを、ファッション性の無いいつもの服装に機能性を、今住んでる屋根付きの普通の住居に有り難味を・・・そして、一番見失っていた自分の信念と志をはっきり見ることができる。何かかっこつけた事を並べているが本当なのだ。
過去、私は暇とお金があれば(借金できれば)パチンコ屋へと通っていた。何の為かと言えば、お金を得たり遊ぶ為だ。更にそれは何の為かと言えば自分の為となる。また、私は借金してまで外食したり服を買ったりしていた。何の為かと問いただしていけば最終的には自分の為となる。「モノ・カネ」への執着は自分への恋であり、愛であり、その他に関する無視なのだと思う。

世の中を無視するというのは独りで生きようとするのと同じ事。当然それは無理なわけで、私の場合は次第にお金が無くなり「これからどうしよう」と考えるようになった。これこそが自分への愛なのだと思う。孤独感や将来を悲観することにより、慎重になって周りを知ろうとしたり、周囲と自分自身を比べたりするようになる。そうすると今の自分が意外と恵まれている事に気付く。それもそのはず、本当に恵まれない人というのは周りなんて見ていられないのだから・・・と、いう事で考え方は"世の為・人の為"へと変化していく。"貧しい者のほうが心清らか"の法則にはこのような理由があるのだと思う。

また、自尊心においても同じような事が言える。貧しい環境は余計な欲に惑わされない強い信念を築いてくれるはずだ。また、欲とは無関係の大きな志が鮮明さを帯びてくる。



今、私は借金によって貧しい生活を強いられているが心は平均以上に豊だと思っている。煌びやかな服を着れなくても、豪勢な食事をとれなくても、豪華な生活をできなくても、物騒な・陰険な事件が起こる世の中に安全・安心を求められる時代のニーズに沿い、気持ちだけは最先端のつもりでいる。夢だってあるし、それに向かう気力だってある。生き方には過剰なくらい自信ありだ。
これから私は努力次第で美食・美衣を可能にできるステータスを得るかもしれない。その時に今持っている信念や志を失わないよう、常に視野を広く持ち、常に自分なりの見解を持つ事が大切だと思っている。間違っても、人格における逆格差を担う一人となってはいけないんだ。
『恋に盲目』になるのは結構、しかし周りを見てみぬふりする『故意に盲目』であってはならない。強いて言うなら自分自身の持つ欲に盲目になるのが理想の生き方なんだと思う。


只今の借金5834000円 総返済額166000円 
゚・*:.。. .。.:*・゜ご訪問に感謝いたします。゚・*:.。. .。.:*・゜
ランキングのご協力、よろしければクリックお願いいたします。
にほんブログ村 その他生活ブログへ  人気ブログランキングへ