人生を噛み締めて

料理の世界では、一般的に言われる"おいしさ"は"甘味"から感じる割合が大きいとされている。確かに甘い野菜は苦い野菜よりもおいしいと感じるし、素材からでる脂に関しても甘味を感じたほうが口に入れたときにおいしさを感じる。和食で使われる酒やみりんだって自然な甘味を加える為や素材の甘味を引き立たせる為の調味料であり、隠し味として使われる少量の塩だって甘味を際立たせる為だ。
しかし、甘ったるい料理は敬遠される。要はバランスなのだと思う。人の食する素材とは、栄養・健康面を考えて食べられるようになったものであり、その要素は大抵"苦味"・"辛味"・"酸味"を有している。それを食べやすくする為の工夫が甘味であり、決して甘味だけではおいしくならないというのが料理なのだと思う。
人に関しても同じ事が言えるのではないだろうか。




最近は偉い人・大きな企業ほど問題を起こし、バッシングされている印象を受ける。もちろん、そのような人は社会的責任もそれなりに大きく、一般人が同じ事をした時よりもマスコミに嗅ぎ付けられる確率や表沙汰になる確率も地位や名誉に比例して高くなるのだと思うが、そのような事を考えても多すぎるのではないだろうかと思ってしまうのが今の世の中・・・一体何が原因なのだろうか。

『酸いも甘いも噛み分ける』という言葉がある。これは苦しい・恥かしい・悲しい経験と、楽しい・嬉しい・面白い経験の両方の多くを経験した上で、物事や対する人間の感情を大きく見れて共感でき、また対処できるということ。
問題を起こしてしまう著名人は、自分が理想に近づいていく事でわがままになり、"酸い"を嫌い"甘い"を好みすぎた事が原因で失態を犯してしまうのではないか。そのような人は噛み分ける努力も怠るようになり、甘いものばかりを求めがちになる。そのままでおいしい完成されたケーキでは飽き足りず、粉砂糖を目いっぱい振り掛けることで、ただただ甘い幸福を求めるようなものだ。
甘味とは作りあげるものではなく、"酸い"・"苦い"という栄養の中にさりげなくある事でおいしく感じるものなのだ。
実際、食に関する"通"と言われる人達は"苦味"や"酸味"を好む人が多い。多くの料理を食べてきた結果、好むのが"苦味"や"酸味"なのだ。もちろん少しの旨味もあるから好むのであり、その埋もれた"少し"を見つけ出し、感じる事ができるというのが"通"として究極の喜びなのだと思う。"苦味"や"酸味"を嫌い、その料理から逃げてばかりでは本当の味を見つける事ができず、その"苦味"や"酸味"を克服してこそ、初めて本質を味わう事ができるのだ。



私の借金の原因は自ら作り出した甘味にある。人工甘味料だ。"酸い"・"苦い"の味を嫌い、極端な"甘味"だけを追い求めた。そんな料理を食べ続ける事が究極の"通"であると信じていた。しかし、そこには栄養も何も無く、気づいた時に私の人生は味云々という前に"毒"の中に沈んでいたのだった。
その解毒の為に行なっているのが自分制御だ。
私の求める自分制御とは、自分による自分の為の強制であり、借金返済とは周囲からの社会的な強制だと思っている。そこには耳が痛い忠告や意見・小言ばかりで決して甘さを感じないが、そのような自分の思い通りにならないことがあってこそ、私は磨かれ、成長していくのだと思う。

借金によって苦い経験をしている現在だが、この苦味が平気になり、その中にある小さな甘味に辿り着いた時、私は「自分の人生を楽しんでいる」と言えるはずだ。

只今の借金5834000円 総返済額166000円 
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