徳と得

正月、私は久々に帰省していた学生時代の同級生と酒を飲んだのだが、その席で私が上京する意思があることを伝えると皆は親身になって相談にのってくれた。「住む所は就職先が決まったら遠慮しないで相談しろよ」、「もし近くに来たらしばらく俺の家に泊まりながら就職先を探せばいいじゃないか」、こんな嬉しい言葉が返ってきたのだ。何年も集まらず連絡さえ無かった仲間が、高校時代3年間に築かれた友情だけでまだこんなにも強く繋がっていたのだ。


「人徳」という言葉がある。"徳"とは行人偏に昔の字で"直"と"心"であり、"直心(正しく真っ直ぐな心)"を"行ずる"という意味でできた漢字だ。人としての直心を行ずる、またはその能力が人徳となる。"人徳のある人"とは非常に信頼できる人を意味し、"徳を積む"というのは人に感謝する・感謝される事を言う。
「人徳」で得る財産や名誉などのステータスはなかなか手に入り難いものではあるが、一回手に入れてしまえばそれはいつまでも失われる事無く、しかもお互いの中で常に大きくなり続けるものなのだと言われている。私は悪徳な人生だとばかり思っていたが、かろうじて一番楽しかった時代に"徳"を積んでいたということだろう。
確かに学生時代は何にも臆する事無く自由奔放に生活していたように思う。経済的には全く余裕なんてものは無かったが、心だけは満ち溢れていたような気がする。友達同士の繋がりを一番に大切にし、裏を読んだり警戒したりするような関係は無く、常に信頼し、感謝し、お互い助け合っていた理想の私がそこにいたのだ。


それから10年。何でも「モノ・カネ」に換算し、感謝するのは自分に利益があるから、感謝されるのも物理的な利を提供したからという汚い大人へと変わっていった私・・・ギャンブルから得たお金で一時的に潤ったステータスは泡となって消え、借金によって得た金銭だって当然の如く残らないことを私は実際に経験した。人徳を無視した"かりそめのステータス"は、冬になると散る花のようにあっけなく形を無くするのだ。
仕事だってそうだ。権力を用いて仕事についてくどくどと説くのは全く効果がなく、説かれるほうにしてみればこの上ないありがた迷惑である。そんな心と中身の無い教えが末永く頭に残るはずがない。説く側が持つ"自分の損を省みない心情"を察すられればこその習得意欲であり、有り難味なのだと思う。
現に私が今も人徳を慕う上司というのは、出来の悪い私をいつも何故かしらサポートしてくれていたような人だ。「私を助ける事に何の利益があるんだろう・・・上司だから?」、こんな疑問を持っては首をかしげていたものだったが、今となってはそれが"得"ではなく"徳"であったのだなぁと理解できる。自分の立場を気にして単調に叱った人、立場の枠を超えて一つ一つ詳細を教えながら叱ってくれた人、どちらが後々に「いざ鎌倉」とばかりに助太刀したいと思えるかと言えば・・・言わずもがなである。



「損得」は"一過性のステータス"しかもたらしてはくれないが、「人徳」は"増殖を続ける失われないステータス"をもたらしてくれる・・・私はこれからこの原理原則を忘れてはならない。借金を早く返したいからといって拝金主義に走ることは間違ってもあってはならないんだ。
例え借金返済が遅くなろうとも、人として真っ直ぐな心を持ち、感謝し、感謝されるような、そんな生き方が出来れば素晴らしいと思う。
「得を積む」のではなく、「徳を積む」人生を目指したい。

只今の借金5834000円 総返済額166000円 
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